― 命を守る現場で、人はどこまで人でいられるのか ―
このブログを立ち上げた理由の一つは、最近の入院で
「死にかけた」
という経験をしたことです。
病院に行ったその日に突然入院が決まり、そのまま ICU に入り、続いて HCU(高度治療室/準集中治療室)へ移りました。
家族も状況が飲み込めず、何が起きたのか分からなかったようです。
自分自身も、
「この年齢になると、本当に突然、死ぬこともあるんだな」
と感じ、気になっていることは先延ばしにせず、今すぐやった方がいいと思うようになりました。
その中の一つが、
「昔の自分のように苦しんでいる人が今もいるなら、その苦しみはあなただけではない」
と伝えたいという思いでした。
ICU・HCUで感じたこと
集中治療室は、まるで映画の中で改造人間を作る部屋のようでした。
窓はなく、半透明のビニールで区切られた区画が15以上。
あちこちから怒鳴り声が聞こえ、深夜でも高齢の方々の叫び声が響き渡る日が続きました。
入院してまず感じたのは、
「胸や腹がはだけたままでも、定時までは直してくれない」
ということです。
病衣を整えるよりも、命を守ることが最優先。
それは理解できました。
しかし、人間の尊厳の一部を奪われると感じたのが、尿道カテーテルの挿入でした。
最後まで抵抗しましたが、看護師から
「排尿のたびに長時間付き添うことは難しく、お互いの負担になる」
と説明され、納得せざるを得ませんでした。
ただ、これを入れると排便のときに、なぜか
「バナナが痛い」という不思議な状態になりました。
「自立できる」と書いたら、基本は自分でやることになる
入院時に「自立できる」と書くと、病院側は本当に自分でできることは手伝いません。
両手には点滴の管、腕には動脈のバイパス。
無理に動くと血が吹き出す危険があるため、思うように動けません。
寝たきりで排便をするのは至難の業で、ベッドを起こして四つん這いの逆のような姿勢を取りますが、この状態では動物でも難しいと思うほどです。
少しでも動けるうちは自分でやった方が良い。
しかし、他人に拭いてもらうと2回ほど軽く拭くだけで終わります。
理由を聞くと、
「オムツをしているから」
とのことでした。
オマルをお願いしても、仕切りを開けられ、誰でも見える状態で排便するのは精神的に難しく、なかなか出ません。
手が届かない物を取るために足を使ったり、頭を動かしたり、どうしても無理ならナースコールを押すしかありません。
看護師の「愛情」を感じた瞬間
そんな中でも、本当に患者を助けようという愛情を持った看護師が複数いたことには驚かされました。
ナイチンゲールを理想にしているような人が、本当に存在するのだと感じました。
「今日、一番してほしいことは何ですか?」と聞いてくれた看護師がいて、
迷わず「頭を洗ってほしい」とお願いすると、丁寧に洗ってくれました。
これは本当に感動しました。
一方で、体を拭くときに、すぐに拭かないのに下半身を丸出しにされたまま放置されることも普通でした。
蒸れを防ぐためだと思いますが、何もしないなら、はだけさせる必要はないのではと感じました。
酸素マスクと「自分で守るしかない」こと
看護師は25人ほどが交代で対応してくれましたが、酸素マスクが緩んでも、最初のうちしか直してくれません。
肺炎では血中酸素の数値が重要ですが、マスクがずれて数値が悪くなると、医師が怪訝な顔でやってきます。
だから、最初に付けてもらったときの位置や締め方を覚えておき、
自分で直す必要があります。
入院中は、
「自分の頭と体を使って、できることは自分でやる」
ことが本当に大切でした。
HCUでの目的は「命をつなぐこと」
HCU以上の病室では、患者の心臓を止めないこと、呼吸を続けさせることなど、
命をつなぎとめることが最優先です。
寝たきりの患者に対して、人間的な心のケアは目的から外れます。
心のケアは、まず命を救ってからです。
もし、これから HCU に入ることがあれば、ここに書いたことが少しでも心構えになればと思います。
つまり、
命以外は大事にされません。
命が助かって初めて、人間として扱われるのです。
でも、命が助かれば、次の人生が待っています。
生き延びることに全力を尽くしてください。
【あとがきに代えて:あーちゃん日和】
本編を最後まで読んでくださり、ありがとうございます。 重い話の後は、我が家のスーパースターの話で少し心を休めてください。
≪あーちゃん日和:スマホより抱っこ≫
あーちゃんは、私がスマホを触りはじめると、すぐに抱っこを要求してきます。
「そんなに暇なら、ボクを抱けばいいのに」と言っているようです。
でも、もちろん大歓迎です。
あーちゃんにとっては、寝ること、ご飯を食べること、遊ぶこと、そして甘えることが“仕事”ですから。

