2026/9/7
最近、人と違う感覚がなくなった。死にかけたせいだろうか。それとも、仕事を辞めたせいだろうか。夢だって、普通に、外の人と一緒にいる夢だし、突き抜けている感じがない。以前は、自分が、火の鳥みたいな虹色の鳥になったり、エジプトに行って宇宙人に見られる、みたいな、ぶっ飛んだ夢もあった。
いわゆる能力者の人たちは、普通の人には目に見えないものが見え、聞こえないものが聞こえ、色々な経験があるから、人を助けなければならないとか、外の人に、良い影響を与える必要を、いつまでも、感じ続けるでしょう。
かつての自分も、例えて言うなら、海の上に顔だけ出しているみたいな状態で、何か、人より突き抜けた感じがあって、ここ30年くらい、人を助けることを、いつも意識して行い、間違ったことをしないよう助言したりしていた。 でも、今は、そういう気持ちがあまり起きない。理由は分からない。ひょっとしたら、「残りの人生は、自分が楽しいと思うことをやれ」ということかもしれない。しかし、これまで、自分の好きなことばかり追い求めてこなかったから、今から何をしたらいいのか、よく分からない。
2026/9/8
普通の夢ばっかりしか見ないと書いたら、いきなり、自分が妖精であるときの夢を見た。
でも、部分的にしか覚えていない。 内容も、素晴らしいとは思えない、エロさと、なんとも表現できないもの。巨人族が出てきた。
2026/9/14
こんなサイトを作って、誰かが、何か変わるんだろうか。
世界に、このサイトで、1人でも、何かを感じ、来るべき時代に抵抗なく、入っていける人が居れば、いいなとは思っています。
そのためには、何かのきっかけが必要です。自分が、何か文芸の賞を取るとか、何かがないと、多分、誰一人、このサイトに気付くこともなく、サイトの利用期限(2028年)が来るのでしょう。
私は、今のところ、このサイトを広めるつもりはないです。
私とご縁があった方のみの、このサイトの文章を読んでもらえればと思います。
何故なら、私には、地球を救うという使命までは、ありませんから。
ネットの投稿でないなら、もっと、本音を言えるのですが、そこは、制限しないと、問題が起きかねません。
もし、このサイトに書いたことに共感される方がいたら、あなたとは、前世から、ご縁があるのだろうと思います。
2026/9/23 性欲の強さについて考える
性欲が強すぎることで、密かに悩んでいる人は少なくない。
若い頃、なぜ自分はこれほど性欲が強いのかと真剣に悩んだことがある。
大人になってからは、その強大なエネルギーの処理に苦労し、さまざまな模索や試行錯誤を重ねてきた。
昔は今のようにインターネットやSNSが普及していなかったため、性に関する情報を得ることは容易ではなかった。まずは文学や小説の中に、同じような苦悩や、人間が持つ性のエネルギーについての描写を探したものだ。
ふと、人間の性や本能について考えるとき、次のような思いに行き着く。女性の側は、出産の過酷な苦しみを越えるほどの快感を伴わなければ、子孫を残すという選択に向かわないという説を聞いたことがある。男とは違う次元で、生物としての重みを背負っているからこそ、本能の仕組みは精巧にできているのだろう。
では、なぜこれほどまでに強い性欲というものが備わっているのか。
年齢を重ねて振り返ると、その強烈なエネルギーの意味が少しずつ見えてくる気がする。
それは突き詰めると、「誰かと深く結びつくため」の原動力だったのではないか。
もし性欲がそれほど強くなかったなら、孤独なまま人生をやり過ごしていたかもしれない。あるいは、セックスの快楽だけでは満たされない葛藤を抱えながらも、人は「結びつき」や「家庭」という形に向かうための動機として、この強い衝動を与えられているのではないか。
一方で、人間が社会の中で「一夫一婦制」をとることによって生き残ってきた背景には、生物学的・人類学的な理由があると言われている。
- 極端に長い人間の育児期間:他の哺乳類と比べて、人間の子どもは自立するまでに途方もない年月がかかる。親が共同で子育てや生活を支え合わなければ、育児の負担に耐えられない。
- 父親の確実な関与:一夫一婦制をベースにすることで、共同で子どもを保護・育成するインセンティブが生まれる。
- 群れの中での無用な争いの防止:パートナーを巡る過度な争いを防ぎ、コミュニティ全体の協力を築くために、社会的な仕組みが必要だった。
男であれ女であれ、性欲という強烈な本能に翻弄され、さんざん苦しむことは多い。女性には出産の苦しみがあり、男性とは違う複雑な本能のメカニズムが働いている。だからこそ、パートナーシップや性の問題は人生において重い課題になり得る。
結局のところ、性欲が強いことも、何かしらの生物学的な意味や役割があってのことなのだろう。その衝動のなかに翻弄されつつも、いずれ年齢とともに波が引いていくのを待つしかない面もある。
長く苦しんだとしても、人はそれぞれのペースでその衝動と向き合い、折り合いをつけていく。もし今、強い性欲や性の悩みで孤独に苦しんでいる人がいるならば、「悩んでいるのは自分一人だけではない」ということを、どこかで知ってほしいと思う。激しい衝動に突き動かされる人生も、その波がやがて穏やかになっていく過程も、すべて人間が生きる営みの一部なのだから。
2026/10/25 路傍の石
大体の人は、私に会うとすぐに見下した態度をとる。
まるで路傍の石を見るような目だ。
ただの石だからだろうか。
ある人は平気で何度も蹴ってくる。
もう蹴ることができなくなるところまで蹴ってくる。
理由は何となく分かっている。
私は頭の形が少し変わっている。知的な障害があるように見える風貌をしている。
見た目が人と違うからなのだろうと思ってきた。
そして、そのことさえも、生まれる前に自分で選んできたのではないかと考えていた。
特別な困難を経験することを、自ら望んで生まれてきたのだと。
しかし、不思議なこともある。
人生の中で最大の危機が訪れると、なぜか助けが入る。
また、私に対して「あなたはすごい」と言う人が現れることがある。
そして、その人たちは、なぜか数年のうちにこの世を去ることが少なくなかった。
もちろん、それが偶然なのか、何か意味があるのかは分からない。
ただ、何度も経験すると考えずにはいられない。
一つの人生で完成できるだけの課題を終えたとき、その人の人生は一区切りを迎えるのではないか。
そんなことを思うことがある。
ところが最近、別のことに気づいた。
ネットの世界でも、自分が路傍の石のように扱われていると感じることがあるのだ。
そこでは見た目は関係ない。
だとしたら、見下されているのは外見ではなく心なのだろうか。
もしそうだとすれば、私の魂は未熟なのだろうか。
そんな考えが浮かんだ。
しかし、世間を見渡してみても、そうとも思えない。
結局のところ、私にはよく分からないのである。
人は、自分には理解できないものを遠ざけたり、軽く扱ったりすることがある。
単にそのようなことなのかもしれない。
だが、それも今のところは仮説にすぎない。
答えが出ないものを無理に答えにする必要はないだろう。
この疑問は、この疑問のまま残しておこうと思う。

