終わりゆく世界と、それでも生きようとする人間の光
若いころの私は映画が好きで、時間があればよく映画館に足を運んでいました。
けれど年齢を重ねるにつれて、ふと気づくようになりました。
──もう、他人の人生を追いかけるより、
自分の人生をきちんと生きる方が大切なのではないか。
それでも、昔観た映画のいくつかは、今も心に残り続けています。
まるで人生の途中でどうしても忘れられない風景のように、時々その記憶が呼び戻されるのです。
そして私は、ずっと以前から思っていることがあります。
映画の中には、人類の未来をそっと示しているような作品があるのではないか。
◆『マトリックス』──“この現実”とは何かを問いかける物語
主人公は、日常の違和感の正体が“仮想現実”であったと知り、
そこから本当の世界へと目覚めていきます。
この物語が伝えているのは、
世界は心の在り方で変わる
ということ。
象徴的な場面で、主人公が「スプーンなんてない」と信じた瞬間、現実が変わります。
そして物語全体を通して描かれる“目に見えない世界の構造”は、
私たちが普段は気づかない領域──
この世とあの世がどのように結びついているのか
その深い仕組みを示しているように思えるのです。
あの世とこの世のつながりを、これほど分かりやすく示した作品は他にないと、私は感じています。
◆『コンスタンティン』──正と負の均衡に立つ地球
この作品では、天界・地上・地獄という三つの領域が存在し、
それぞれが“中間的な存在”を通して人間界に干渉しています。
年齢を重ねるほど、世界の裏側にある
「均衡」
というものを意識するようになりました。
だからこそ、この映画を観ると、若いころに読んだ美輪明宏さんの『正負の法則』を思い出します。
当時は信じられなかった「正と負の拮抗」という考えも、
長く世の中を見ていると、
天界族と魔界族がせめぎ合う星としての地球
という表現に、自然と頷けるようになってきました。
人は、正しさだけでも、悪だけでも生きていけません。
その“あいだ”で揺れながら、自分の体と家族を守り、今日を生きている。
それは、この星に生きる者の宿命なのかもしれません。
◆『ノウイング』──選ばれた者だけが未来へ進む問い
小学校のタイムカプセルから見つかった数字の羅列。
それが過去の大災害を正確に示していると分かったとき、物語は一気に“人類の終わり”へ向かいます。
しかし、未来へ進むことを許されるのは“選ばれた者”だけ。
残された者は、地球とともに終わりを迎える。
もし現実にそんな選別が行われたら、
私たちは受け入れられるのか。
それとも抗おうとするのか。
簡単に答えの出る問いではありません。
ただ、人類全体に向けられた大きな宿題のように感じます。
◆『地球が静止する日』──人類は変われるのか
宇宙から来た存在は、人類の行動を“地球への脅威”と判断し、
動植物を保護する一方で、人類の排除を検討します。
彼らは、人類の未熟さを知りながらも、
その奥にある“かすかな光”を見つけようとします。
自らを犠牲にしてでも人類を残そうとする存在がいる──
その事実に、静かな感動を覚えます。
人間が思い描けることは、
過去に起きたことか、未来に起こりうることのどちらか
だと私は思っています。
だからこそ、こうした物語の中に、
私たちの未来の姿がそっと映し出されているように感じるのです。
◆なぜ、これらの映画が今になって浮かぶのか
一つの人生が終わるまでに、
これほど多くの“示唆”を受け取る必要があるのでしょうか。
そう思うと、やはり地球の変革期が近づいているのかもしれません。
けれど、どんな意味があったとしても、私はこう思います。
人類は、簡単には負けません。
みっともなくても、だらしなくても、
望みが薄いと言われても、
最後の瞬間まで笑い、あがき、
それでも生きようとする。
その不器用さこそが、
私たち人類の、愛すべき姿
なのだと思います。

